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zoom RSS フジ製糖の時代を垣間見る(1)

<<   作成日時 : 2011/11/14 22:51   >>

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皆さん、フジ製糖という会社をご存知でしょうか。「昔、六戸にあった大きな砂糖工場だ」と思い出す方は、おそらく昭和30年ころお生まれの人じゃないかと思います。

この会社は呼んで字のごとく、砂糖を作る会社でした。戦後、砂糖はきわめて貴重なもので、国内で生産できるのは沖縄のサトウキビなどを材料にしたものが中心でした。それが北国でも栽培できるテンサイ(ビート)を使った砂糖作りに注目が注がれ、この時代に青森にも工場ができることになりました。

その当時、フジ製糖に社員として働いていた人が、まだ向山駅の近くにいます。駅から数百メートル北にある豊原という集落に住む笹森秀郎さんです。今は専業農家ですが、昭和36年から42年までの間、フジ製糖で働いていたそうです。笹森さんいわく「フジ製糖青森工場で一番最初の砂糖を精製したのは自分だった」とのことです。青森工場ができた昭和37年、笹森さんは遠心分離機で砂糖と水分を分離させる仕事を担当していました。工場が創業し、最初に砂糖ができるある日の早朝、一番先に出社し、精製された砂糖が出てくるのを見届けたそうです。

写真は創業前、まだ青森工場が工事中のときに撮影した写真だそうです。まだ工場ができていない様子がわかります。

笹森さんが大切に持っているアルバムを、1日だけ貸してもらうことになりました。どこを探しても絶対に見つからないであろう、きわめて貴重な写真を貸していただき、複製を作ることを快く了解してくれた笹森さんに、最大限の感謝をささげたいと思います。これらの写真は1枚1枚接写し、データ化しています。これらのデータは大きなプリントにし、向山駅ミニミュージアムへ展示する予定です。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 笹森さん、ありがとうございます。
これからも情報よろしくお願いします。
N会長
2011/11/15 09:01
写真を借りるとき、笹森さんからたくさんの話を聞きました。その中で特に誇らしげに話されていたのは「フジ製糖青森工場で一番最初の砂糖を取り上げたのは俺なんだよ」ということでした。当時遠心分離機係だったそうで、どうしても第1号の砂糖を自分の手でものにしたかったそうです。ずいぶん朝早く出勤して、その砂糖を取り上げたと話してました。

戦後沖縄や台湾など、砂糖生産地が「外国」になってしまったこの時代、甘味料の増産は国益につながる大切なものでした。需要はどんどん高まれど、輸入ばかりでは国内資本がどんどん流出してしまうのですから。国策として砂糖工場をなんとか軌道に乗せたかったのは、そういうわけがあるようです。

しかも私たちの住む地域は、ヤマセのために米作は不利でした。今のように根菜類が豊富で、しかも品種改良されたものがあったわけじゃありません。当時の農家にとっても、行政から勧めを受けてビートを作付けしたのは「なんとか農業所得を上げたい」という強い願いがあったことは想像に硬くありません。

ようやく軌道に乗り始めたころ、フジ製糖青森工場をめぐる情勢にかげりが見え始めます。とどめは砂糖の輸入自由化。これによって海外から安価な砂糖が入るようになり、国産砂糖は大打撃をこうむりました。

でもフジ製糖青森工場がもたらしたのは、決して負の遺産だけじゃありません。ビート栽培普及は、農業の機械化、土壌改良、栽培技術の向上など、今につながるさまざまなものを残してくれました。そう考えると、この工場への愛着のようなものもわきますし、その生産ラインを支えていた向山駅の価値も感じられてくると思います。
M局長
2011/11/15 17:23

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