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zoom RSS 向山駅・長老の証言

<<   作成日時 : 2011/11/26 00:50   >>

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 かつて向山町内会長を務めたことのある長老、松林康毅さん(80、昭和6年生まれ)から、かつての向山駅の記憶をたどってもらいながら教えてもらいました。松林さんは戦後間もなく、気比神社がある木ノ下地区から向山に移住し、農業を営みました。自宅は駅から東にわずか50mです。

 先日、歩王さんからいただいた推測を元にしながら話を聞きました。時代は東北本線が複線になる前で、現在の駅舎ができる前の時代です。ですから歩王さんの紹介してくれた昭和37年以前のことになります。


 まず旧駅舎の位置を確認しました。どうやら現在の駅舎より南で、だいたい屋外トイレの位置より少し北側らしいんです。だいたい現駅舎とトイレの中間といったところでしょうか。歩王さんの推測よりは北側ということになりますでしょうか。この辺の証言は、もう一人の長老、折舘五郎さんから聞いた証言ともほぼ一致しています。現在のふれあい広場公園にあったという官舎よりも確実に北側です。ついでに弧線橋のことも話していましたが、弧線橋東側で既存のものに足された部分は、どうやら昭和53年頃かと記憶しているようです。向山駅に国鉄職員の駅長が置かれなくなった時代らしいです。



 次に単線線路のことを確認しました。確かにこの時代は単線で、昭和43年頃に複線になったことは覚えていたようです。ちなみに向山駅南側にある踏み切りですが、現在は徒歩でしかいけない幅です。しかしこの時代は、トラックで通ることができるほど幅があったようです。ですが複線になってから、電車が行き交うスピードが速くなってしまったために危険だということで、現在のような幅に狭められたとのこと。この踏切の近くに住んでいた松林さんは「狭くなったからトラックが通れなくなり、ずいぶん不便に感じた。線路を渡るには木ノ下踏切まで遠回りしなければならなくなった」と証言しています。
 フジ製糖専用線は向山駅から木ノ下踏切までは北に路線を伸ばしていきますが、木ノ下踏切手前には貨車置き場などがあったとのこと。これも歩王さんの推測と一致します。ちなみに現在のホームの東側(現在は上り線が通っている)場所には線路はなく、代わりに丸通(日本通運)の貨車置き場や建屋、事務所があったとのことです。



旧駅舎で切符を切ってもらい、東側にあったという改札をまっすぐ出ると、線路をまっすぐ、数本わたってプラットホームに上ったそうです。ですが旧駅舎があったと予想される場所から東へまっすぐ出ると、現在のプラットホームにはどうしてもぶつかりません。ですから今のプラットホームは現存したものではなく、かつてはもっと南側にずれた場所にあったらしいのです。これも驚くべきことに歩王さんの予想とほぼ一致します。

駅を愛する鉄道マニアの綿密な推測、地域に長年暮らし駅を見つめてきた長老の証言が、ほぼ一致したことが証明できました。松林長老は「元国鉄の相坂ならもっと詳しく知ってるから聞けばいい」と言っていました。後ほど証言を聞きだし、図面化してみたいと思います。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
お疲れ様です!
これはまた、すごい証言が聞けましたね!
トラックが通れたという踏切の存在、
日通の貨車置き場の存在など、驚きの連続です。
もう向山駅の歴史探訪、止められませんよ(笑)
歩王(あるきんぐ)
2011/11/26 01:28
歩王さんこんばんは。実はこの長老・・・私の祖父なんです。何しろ駅から50m東ですから、普段の生活の中で駅をずっと見ていたから、多少ぼけが始まっていても何とか覚えているんでしょうね。歩王さんの推測と長老らの証言が一致したときは、妙な感動をおぼえました。こりゃ本格的な謎解きが始まりそうですね。
M局長
2011/11/26 22:33

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