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zoom RSS 大津波のがれきから見つかったCanonEos40D

<<   作成日時 : 2012/10/06 17:22   >>

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東日本大震災からもう一年半以上たちました。今でも岩手、宮城の沿岸部は町が復旧していませんし、福島は原発の放射能で大変なことでしょう。一日も早く復興してほしいと思います。
おいらせ町にも大津波が襲来しましたが、そのときM 局長もろとも流された一眼デジカメ、Canon Eos 40Dです。

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カメラは流され、車も大破しました。今でも大津波にもまれた数十秒が、ものすごくゆったりしたスローモーションで進んでいたのを思い出します。ああいう極限状態のときは、いくつもの思考回路が同時に動きました。数日は何度も夢に見ました。

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このカメラは震災からおよそ一ヶ月後に見つけられ、私の手元に戻ってきました。もちろん壊れてしまいましたし、データを取り出すこともできません。使い物になりませんが、車と共に身代わりになってくれたカメラですから、これからも大切にとっておきたいと思います。

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コメント(15件)

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ちょっΣ(;°Д°)
あの津波に呑まれたって、初めて聞きましたよ!
((( ;゚д゚))アワワ…

その時は、仕事中だったんでしょうか?(¨;)

しかし、よくぞ御無事で、何よりで…(;^ω^)

キャノンEOS 40Dだと、確か2007年発売した1050万画素のカメラでしたよね?

いつ購入されたカメラかは分かりませんが命には代えられませんからね(>_<)

よく、カメラ発見されましたねぇ(^^:;)

田中
2012/10/06 19:07
田中さんこんばんは。コメントありがとうございます。

大津波の話、してなかったですかね…。ざっくりとコメントしましょう。

震災のとき避難所回りを終わって海沿い県道を走り、急いで職場に戻る途中でした。工業団地の堤防に人影が見えて、いったんは無視しかけました。でも気になって戻って、堤防に近づいて大声で「戻れー」と叫びました。そうして何度か叫んでいるうちに、その人たちがダッシュでこっちに向かってきたので「やばい」と思って私も海の反対方向に走りました。でも数秒したら波が上からかぶってきて、100メートルくらい流されて県道に出ました。

流されている間ですが、いくつかの脳が働いていたような気がします。まず子ども時代に向山で遊んでいたことを思い出しました。そのほかに子どものこととかこれから立てようとしていた家はどんな間取りにするかな、という日常のことが頭をよぎりました。そんなのんきなことが頭に浮かぶんですが、それと同時にやっているのは危険回避です。とにかく波の上に顔を出そうとしましたし、目を開いて障害物にぶつからないようにしました。何かにひっかかったら大変なので、足を向けてキックして、波に素直に流されるようにしました。

いまでもしっかり思い出せます。死ぬまで忘れられないでしょう。
M局長
2012/10/06 19:22
このときのEOS40Dはごらんのとおり壊れてしまいました。でもこのカメラ、大きさと性能がちょうどいいカメラなんですよね。今もメーンで使っているのは40Dです。
M局長
2012/10/06 19:24
M局長さん、こんばんは。
9/11付・三沢漁港復旧記事のコメント内で、津波に遭われたことをお書きになられていましたね。
阪神大震災の時、いつまでもフラッシュバックが続く、また、元気に見えてもある時から突然体調や精神的に不安定になる、などの経験からここでも注意喚起されております。市内の小中学校にはずっとスクールカウンセラーが置かれており、家庭にもお知らせが配られます。
そうしたことや、大変な経験をしたこと察するに余りあることから、局長さんのコメントを読むだけでおりました。

5月のミュージアム訪問の際、大した被災経験でもないのにペラペラ話したことが大変恥ずかしく、後悔しています。
元・向山人
2012/10/06 21:16
元向山人さんこんばんは。コメントありがとうございます。

 1995年の阪神淡路大震災の時、ちょうど高校3年生で大学入試センター試験直後でした。早朝テレビを見て「何の映画か」と思いました。
 2001年の9.11のときもそうでした。ビルに飛行機が突っ込んでいくのを映画か何かかと思いました。そして今回の震災も、あの大津波の映像が写ったのはたしか名取川を逆流ウシてビニールハウスや家をなぎ倒していく姿でした。

元向山人さんはそうした仙台でお住まいでしたから、電気や水道の復旧までずいぶん時間がかかったでしょう。春に来館したときは、その辺の話をずいぶんと聞きました。大変だっただろうなと。

そういう地域から比べたら、こちらは電気は2、3日で復旧しましたから大丈夫でした。ただ数ヶ月は体の傷が消えなくてやっかいでした。

私はあまりフラッシュバックみたいなやつは感じませんでした。でも三陸や石巻、南三陸などだと、きっと今でもそういう怖さを思い出す人がたくさんいることでしょう。一日も早い復興を願います。
M局長
2012/10/06 21:34
M局長さん、ありがとうございました。

今でも、友人たちとあの日の話になると「家具が倒れないように押さえてた」「玄関に向かって逃げたけど動けなかった」など、話すことがあります。
私の場合は息子を抱えることだけでいっぱいでしたから、家じゅうの家具が倒れガラスが割れ食器も割れ家電は転がり…倒れてくるものに当たらないように、ただ眺めているしかできませんでした。
壊れゆくものを何もできずに激震の中、見ていただけでした。
でも割れたガラスや食器で廊下は塞がれていたのに、脇に抱えた息子と(荷物のように)どうやって外に出たかは覚えていません。

話変わりまして、「走馬灯」は私も経験があります。
本当に、頭の中を巡るんですよね。

子供たちに会えた今だから言える。

生きてて良かった。
元・向山人
2012/10/06 22:05
元・向山人さん、M局長、お晩です。

あれから一年半…
もう一年半、まだ一年半。
同じ東北でも、仙台と、おいらせ、三沢…被害や復旧、違いがさまざまあり、複雑で、それでも『震災体験者』と言う立場では、同じ部分もあるように思います。

倒れる家具から逃れる…、津波から生還…。

文字におこせば簡単ですが、命があるから、今があり、当時を話すことが出来ると思います。
中には『思い出したくない』『話したくない』という方々が数多くいるのも事実だし、現実でしょう。

心が落ち着き、話せるようになったとき、自分の体験、思い、気持ちを自分の言葉で話すこと、文字にすることが、将来、子々孫々に大切なことだと思います。
三沢の浪岡
2012/10/06 22:44
浪岡さんこんばんは。的確コメントありがとうございます。

あの大津波の直後、家を流されてしまった人たちが寝泊りした避難所詰めが町職員の仕事になりました。避難所はどうしてもぴりぴりした空気になりましたが、それも今思い起こせば当然のことでしょう。自然相手、怒りのやり場はどこにすればよいのか、という空気があったように思います。きっと三沢でもそうだったのでしょう。

先日の三沢漁港のレポでも感じましたが、着々と前に進んでいることはしっかり感じられます。漁港の市場に刻まれていた津波到達高の印のように、みんなが忘れない形で記憶をとどめていることも大切だなと思いました。
M局長
2012/10/06 22:58
おはようございます。
あれから1年半、あっという間ですね。でも記憶からはあっという間に消えないようにしたいと思っています。

今でも精神的に大変な思いをしている人がたくさんいます。
平凡な日々に感謝して、1日、1日を大事にしていきたいです。
M局長と言えばカメラ。いろいろな意味で大切な1台ですね。
コジー
2012/10/07 05:27

M局長様→そんな事があったんですね…
PTSDにならない事を祈ってます(>_<)

津波の話しが出たついでにですが、先日発表された、三陸沖の広範囲を震源とするマグニチュード9クラスの地震が発生した場合の「津波浸水予想図」を見て、度肝を抜かれたような衝撃を受けたのは、私だけではないはずです…

向山がある、おいらせ町の百石地区は完全に浸水し、以前、このブログでも公表した、海抜2メートルしかない、イオンモール下田も浸水する地図を見た時は、唖然とした方も多いと思います(。。;)

もちろん、第二営業部長の地区も、浸水予想に入って(るはずですよね?(^_^;))ますし(>_<)

今回の発表では、向山には津波が、襲来しないような感じでしたのでいざという時は向山方面に逃げようかと思ってます(^^:;)

田中
2012/10/08 02:45
田中第三営業部長こんばんは。コメントありがとうございます。

何でも楽観視する性格なので、PTSDとか大層なものとは無縁と思って生活してます。

先日報道に出た大津波浸水域は、大きく二つのケースが想定されていたと防災係から聞きました。「数十年から数百年で起こると思われる7メートル程度の大津波」「千年単位で起こると思われる8〜24メートル程度の大津波」だったかな。新聞には後者の想定がクローズアップされていたと思います。

さすがに最悪想定の大津波だと、沿岸部はもちろん、奥入瀬川や明神川流域も大量の水が漏れてしまうでしょう。奥入瀬川の堤防は通常水面から8〜10メートルくらいの高さじゃないでしょうか。

こうした想定に基づく情報で混乱したり騒いだりするのではなく、避難先やそのあといかにするかなど、普段からシミュレーションできたらいいのかなと思います。
M局長
2012/10/08 20:03

M局長様→コメント返信、ありがとうございます
m(__)m

別にイタズラに煽ってるのではなく普段から危機管理というか、そういうものを普段から意識して行く必要性はあると思うんですよね。
用心に越した事はと思うんですがソフト面&ハード面の両方を上手く高めて行けたらと思います(’_’)

百石地区の明神山公園に、防災タワーとか、作れたらどうだろ?(¨;)とか勝手に考えたりもしますがあの奥入瀬川を、津波が遡ってくるかと思うと、ゾッとしますよね(;´・`)

田中
2012/10/10 19:35
田中さんこんばんは。含蓄あふれるコメントありがとうございます。

確かにおっしゃるとおりです。行政から出された今回の想定は、決して不安をあおるものではないと思います。実際には現実に想定されることを封印するほうが、あとで「なぜ想定していたのに公開しなかったんだ」ってことになりかねません。今回のは「今考えうる最も深刻な想定はこれくらいです」と公開したものだと思います。

ここから先はどのようにこの想定を生かすかです。まず第一に「とにかく高いところへ逃げる」が一番ではないでしょうか。普段から大切なものをひとつにまとめておくこともよいでしょうし、家族の間で「うちの決まり」を作って徹底しておくことも小さな防災の一つでしょう。

今や災害、特に大津波は防ぐことに重点を置くよりも、「減災」が主流になってきていると思います。とにかく命と可能な限りの財産を守ることを想定して、家庭や地域でいろいろと話し合ってみることからスタートかと思います。

ちなみに明神山は海面から25メートルくらいだったような気がします。奥入瀬川と明神川があふれるのは、どうしても想像したくないけれど。ほんとにぞっとします。
M局長
2012/10/10 19:52
ブログを読むのが遅くなってしまってこんな遅くにコメントを上げてしまいましたが・・・、衝撃でした。
まさかこんなに身近にそんな大変な思いをあの震災でされた方がいたとは・・・。
青森県内の少ない犠牲はM局長のような勇気有り責任感有る職員の方々の行動の基に有ったんだと改めて思わされました。もっと聞きたい事も聞いて欲しい事も有るんですが今は上手く言葉も浮かばず書ききれません。今度会った際には話せたらと思います。今は本当に無事で向山ミュージアムが縁でM局長と出会う事が出来たのが改めて素晴らしい出会いだったと感じずにはいられません。
八戸観光コンベンション協会 坂本
2012/10/12 15:21
坂本さんこんにちは。コメントありがとうございます。

大丈夫ですよ。今現場を見ると、だいたい流されたのは100mくらいでした。でもスーツはぼろぼろ、車はおしゃかでした。

あの辺りはとにかく避難所詰めが続きましたね。今となっては懐かしい思い出です。かえって三陸などはまだまだ先の長い話ですね。少しずつ復興することを願います。
M局長
2012/10/12 17:38

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